春の陽射しのベランダで

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サロンを一週間の臨時休業して3日目。

昨日までは資料作成やオンラインイベントの立上げ、参加者へのお返事などして過ごしていました。

今日の午前中は少しだけのんびり。

 

顧問の社労士さん、税理士さんの協力がとても頼もしいですし、美容ディーラーさんの迅速な対応も有り難いです。

サロンは休業中ですが、スタッフ達は、それぞれが分担して、今自分にできることをしてくれています。

Splashのベテランスタッフ達や、支えてくれている皆様には本当に感謝しかありません。

 

 

このところ、ずっと自分には何ができるのだろうか?

そう考えていました。

しかし、どんなに考えてみても、私にできることって、そんなに多くありません。

今回サロンワークを離れて思ったのは、今までずっと「自分が何かやらなきゃ」「自分がやらなきゃ、サロンがダメになってしまう」と、自分で自分を焦らせていたことです。

 

ちょっと前とはまったく変わってしまった世の中には、不安、恐怖が渦巻いています。

もちろん、私の中にもその恐れが存在しています。

自分のこと、家族のこと、スタッフのこと、お客様のこと、サロンの経営状態のこと、周りにいる人たちのこと。

考えれば考えるほど、いろいろな感情が湧いてきます。

その恐れの最たるものはなんだろう。と思った時、肉体を離れる死の恐怖なんだろうと腑に落ちました。

人は皆、生まれた時から死に向かって生きています。

それは当たり前のことなのですが、私自身、死に向かう「恐れ」を打ち消すために「何かやらなきゃ」「〇〇しなければならない」と、自分をがんじがらめにしていたのかもしれません。

 

このところ、天気の良い日はベランダに出て仕事をしていることが多いのですが、穏やかな春の陽を浴びながら、心の中では「死」について考えています。

不思議ですよね、健康になりたいのに、なぜか「良く死ぬこと」について考えているのです。

自分にとっての「良く死ぬ」ってどういうことだろう?

死ぬ間際に、どんな気持ちでいられると「良く死ぬ」ことになるんだろう?

では、良い人生とは、どんな人生なんだろう?

何故か死を意識することで、改めて生きることに向き合えた気がします。

 

「何かやらなきゃ。」から、「今の自分にできるコトを最善のペースでやればいいや」となんだか肩の力が抜けました。

自分の事を自分自分が認めることができなければ、周りの人のことも認めることができないと思いました。

自分を認めることができないから、他者からの承認を求める事で、自分の存在価値を見出し、恐れのバランスを取ろうとするんだ。

と気が付きました。

 

そして、ありのままの自分を認めることができると、きっと良く死ねるのだろうと思いはじめました。

それが、良く生きることなんだろうと。

 

早く皆さんと笑って会える日が来ますように。

春の陽射しのベランダで、こんな事を思いながら過ごしています。

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