真夏のソフトクリームと一喜一憂

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目次

暑くて少し柔らかめ

先日の定休日のこと。

ベーシックカット講習をした後、帰宅途中であまりにも暑かったので、前々から食べたいと思っていた店のソフトクリームを購入しました。

店主は「ごめんなさい。暑くて少し柔らかめになっちゃってるから気を付けて食べてください。」と手渡してくれました。

手渡されたソフトクリームを早く食べたくて、ペロッと一口食べるとかなり濃厚な味のソフトクリームで、かなり美味しいです。

 

インスタに写真を載せようと撮影しているうちに、気温40度近い暑さでソフトクリームが徐々に溶けてきました。

私は慌ててコーンの部分に今にも流れ落ちそうなクリームをひと舐めします。

すると今度は反対側からクリームが流れ落ちそうになります。

コーンをくるっと回して反対側をひと舐めすると、また反対側が…。

なんたって気温40度、暑いからね。

 

やっと一息ついて

気がつくとソフトクリームはコーンの上で、もうこれ以上流れないくらいの量しかありません。

私はこの時点でやっと一息ついて、このソフトクリームって美味しいなぁと思いました。

その後、コーンの上方をバリッと一気に食べると、このコーンもまたかなりの美味で、わたし好みです。

 

40度近い気温の屋外で食べる真夏のソフトクリーム。

かなり忙しいです。

 

そこから考えてみると、私が普段からやっている事もこれに似ている気がします。

 

今この瞬間

サロン経営においても、生き方にしてみても、何か問題が起こりそうになると、慌てて対処します。

対処に追われてしまい、ワクワク楽しい「今この瞬間」を充分に味わうことなく、真夏のソフトクリームと同じことを繰り返しているように思います。

自分で考えてみても、随分と器が小さいと言うか、貧しい心持ちだと感じます。

過去には「〇〇になりませんように」などと神頼みしていた時もありました。

 

取り越し苦労

私は日頃から色々な人とお話をします。

中には「私はいつも最悪の事態を想定しながら生きてるから。」と言う人もいます。

確かにリスク管理や危機管理はとっても大切ですし、いざという時に困らないようにしておくことは、安心して生きるためには重要だと思います。

 

しかし、ソフトクリームを食べるとき

「もしも落としてしまったらどうしよう」

「もしも食べる前に溶けてしまったらどうしよう」

「もしも、、、」

「・・・どうしよう、どうしよう」

これでは、せっかくのソフトクリームも美味しく感じるはずはありません。

 

これは取り越し苦労と言います。

まだ先の未来のことを不安や恐れの観点から思ってしまって、こうなってしまったらどうしよう、ああなってしまったらどうしようと、とっても大事な今と言う時から意識が外れてしまうのです。

 

その反対は「持ち越し苦労」といいます。

過去にこんなことがあったから、きっと今回も上手くいくはずがない。と考えていま現在の行動を自分の苦い経験から制限してしまうことです。

 

自分のエネルギーの無駄遣いの最たるものは、持ち越し苦労と取り越し苦労です。

 

どうしようもない

どうしよう、どうしようと思案してみても、結局のところどうしようもないのです。

今という時は、自分でしか感じられないですし、自分にしか見えません。

同じ場所で同じ時を過ごしている人がいても、その人が感じている現実は、その人自身が創りあげています。

どんなことでも、現実は全て自分が創っているという視点に立っていると、本当の意味で自分に合った現実が動き始めます。

 

下手な考え休むに似たり

真夏のソフトクリームから、色々と考えてしまうことすら、本当は無駄なエネルギーを使っているのだろうと思います。

現実は自分が創っているはずなのに、その現実を見て一喜一憂している。

下手な考え休むに似たり という言葉の通り、自分が考えていると思い込んでいるだけで、結局何もしていないのと同じです。

 

私の悪いクセ、それは、問題視するから問題となる。ということなのかもしれません。

 

それでは、また。

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